25歳にしては老けている
- 2008年6月 9日 03:50
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秋葉原
土曜日であればちょうど良い時間ちょうど良い場所にいた気がしなくもない
もし犯行が土曜日だった場合
新宿駅で「迷子」だなんて28歳男子に言われても全くうれしくない事をぬかした
俺を秋葉に誘い出したJUNを呪うしかない
腹いせに逃げながら買ったものをぶちまけてもきっと許してもらえる、たぶん
しかし秋葉原というチョイスは良いところかもしれない
静岡からわざわざトラックで来るだけの価値はある
あれだけ道幅が広く歩行者天国、そんでもってそこへの突入も容易い
人もたくさんいる
場所柄人に見つかって恥ずかしいものを買っている人も多いだろう
死んでしまったらそれが遺品として家族の元に届けられるという辱め
死後のことについて恥ずかしさを感じるのは
実は死んだ後そういった恥ずかしい場面を(強制的に)見せられるサービスでもあるんじゃないか
そしてそれを本能的に知ってるんじゃないのか、と勘ぐってしまう
あぁ、神様はとても悪趣味です
極めて後ろ向きに自殺願望がある身としては
こういった事件に巻き込まれて恨み節をいうか無言で右手の親指を立てるかは実際巻き込まれないと判らないところ
自殺する気はない(そんな度胸はない)
だけど長生きしたくもない身としてはこういった不可避な状況で死んでしまうしかない
できれば痛いのは勘弁だが、まぁ不可避であれば仕方ない、できるだけ我慢しよう
困ったことに「こんな事考えてる奴はきっと長生きする」と内心思っててどうしようもない気分になる
こんな人間だらけならまぁ、良かったんだろうけど
そんな都合のいい話があるわけ無いので
人を殺したくなったら自分を殺すのが一番害が少ない方法なんだが
特に今回のように「何もかも嫌になった」ってんなら一番ハッピーになれると思うんだけど
そうしない理由がわからない人は殺人犯になれても殺人鬼にはなれないんだろうね
哲学の授業でよくある
「人を殺してはいけない理由」
についてなんと書いたものか
どうせ社会通念による所しか理由にできない
(常識に伴う強制力はそれこそ社会通念でしかない)
それを廃して考えれば刺せば、首を絞めれば、銃で頭を撃ち抜けば、練炭、硫化硫黄
ただ殺せるという事実だけが残るだけで
何と理由をつけようとそれだけが唯一の事実なだけで
有益な議論をするという意味では
「自分が殺されてはいけない理由」
を考えた方がよっぽどマシか
(確かその理由が人を殺してはいけない理由と言っていた人もいたっけ)
俺はこれを突き詰めていっても自信がいかに無価値な生き物であるかを認識するだけになると思うけど
殺されてはいけない理由が特にない以上
殺されたとしたらそれはついてなかったんだろうね
誰かに依存されていればそれが理由になり得るかもしれないけど
(殺す側からすれば殺さない理由にはなり得ないが)
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